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デイヴ・ガーン&ソウルセイヴァーズの新譜で全編カヴァー・アルバムの『Imposter』をApple Musicで聴き始めてから3週間が過ぎた。もう何回連続でプレイしたことだろうか。とうとうひとつひとつの歌を意識して歌い始めるところまで来てしまった。
元々知っていた曲は数曲しかなかったが、YouTubeなどで新たに元曲やその歌詞を調べて聴くことになり、デイヴとの違いを確かめながら味わったりしている。「この歌たちが僕だけでなく、みんなにとっても大切になるといい」とブックレットに書かれている通り、まんまとデイヴの術中にはまったというところだろう。
たぶんデペッシュ・モードのファンの中には、彼がこのような選曲をするとは思っていなかった人もいるだろう。特に新鮮だったのがブルースへの傾倒である。ここ数年ソウルやR&Bを聴くことが多くなっていた私には大歓迎だった。
実は、一番最近気に入ったのがジェイムス・カーという人で、Apple Musicのプレイリストで聴いて気に入り、「The Dark End Of The Street」という1曲だけダウンロードしていた。まさかデイヴがその曲をアルバムの1曲目に持ってくるとは! 運命を感じて思わず変な声が出てしまった。とにかく、バカな一ファンである私にとってはとてもうれしいアルバムなのである。
最初にプレイボタンを押した瞬間から、包み込むようなデイヴの声に全身の力が抜けてしまい、泣きたいような、うれしいような、安堵するような、でも高揚するような複雑な気分で延々と聴き続けた。その間何も手がつかず、どこでストップボタンを押したらいいかもわからなかった。今もほぼ同じ状態である。ループ再生にしておくと、最終曲の「Always On My Mind」と、最初の「The Dark End Of The Street」がこれまた上手くつながる。そしていつも気がつくと3巡くらいしているのだ。
雑誌やYouTubeでデイヴのインタビューを見ると、収録曲はどれも個人的に大事にしてきた曲で、「他人の曲なのに俺の人生をよく表している」と語っている。さらに、独特の雰囲気を持つカリフォルニアのシャングリラ・スタジオで制作するうちに、なんとなくひとつのストーリーの流れができてきて、曲順を大事にしたらしい。つまりこのアルバムはデイヴの半生のそれぞれのステージを如実に表していると言っても過言ではないようだ。
古くからのファンならよく知るところだが、デイヴは1996年にヘロインとスピードボールのオーバードーズで2分間心停止するまでに追い込まれている。Steve Malinsという人によるデペッシュ・モードのバイオグラフィー(1999年に書かれ、2001年に改訂された)によると、その直後は全く歌えなくなり、かなり回復に時間がかかった(その間バンドは彼の心身の状態が良いときにヴォーカルのみ別録りしたりして、なんとかやり過ごしていたらしい)。完全に復活したのは『Exciter』が作られた頃だという。
同バイオグラフィーによれば、デイヴは割と早く、幼なじみの女性ジョアンと結婚し、ちょうどデペッシュ・モードのドキュメンタリー映画『101』の撮影をしていた頃、息子ジャックが生まれた。しかし長いアメリカツアー中ということもあって、テレサ・コンロイというスタッフの女性と関係を持ち、彼女の影響でヘロインに溺れるようになる。その後彼はジョアンと別れてテレサと結婚したが、大きく人生の道を踏み外すこととなった。
麻薬禍が高じてくるとテレサとのすれ違いも多くなり、関係も悪化して離婚。前述のオーヴァードーズによる臨死体験後、立ち直ってバンド活動を続けるため、デイヴは麻薬中毒のリハビリセンターに通い始める。そこで出会ったのが現在の妻で女優のジェニファーである。
『Exciter』はジェニファーと結婚し、娘ステラ・ローズを授かった頃に録音されたものだが、「When The Body Speaks」と「Goodnight Lovers」の2曲で彼は珍しくやわらかい声で歌っている。前者は、生まれたばかりのステラ・ローズを腕に抱いている感覚で歌った、とのことだったが、彼の素の優しさが伝わってくるようだし、彼が肉体的にも精神的にも立ち直ったことを、声が証明しているようで印象的に残る。
しかし通常、デペッシュ・モードではマーティンの書いた曲を歌うことが多いためか(最近はデイヴも貢献しているが)、割と彼の声は低音域で、インパクトが強く、真っ直ぐである。もしかしたら、マーティンはヴォーカルも楽器の一部と考えているのかもしれない。もちろん、デイヴは特に不満を漏らすこともなく曲に完璧にフィットする独自のパフォーマンスを展開し、バンドを世界的な成功に導いてきた。
ところが『Imposter』でのデイヴは、その呪縛から解き放たれたかのように自由に歌い、その声は時に弱々しかったり、最大限にシャウトしたり、高いトーンを出したりと変化に満ちており、実は声だけで人を惹き付けて離さない、才能に満ちあふれたシンガーだったことを露呈している。デペッシュ・モードのアルバムやデイヴの他のソロアルバムを聴く限り、彼にここまで表現できるとは私は思っていなかった。ものすごく意表をつかれた気分だし、聴いているだけで次から次へといろいろな感情が引き出されきて涙腺にくる。これぞシンガーの中のシンガーの仕事なのではないか。
つい最近までSSWに比べてシンガーは低く見られがちだった気がするが、誰の作品であろうと、曲の世界を声で最大限に表現し、聴く人に確実にメッセージを届けるというシンガーの能力は、曲を書く能力に決してひけをとらないものだと最近思う。彼もそれに気づいたのかもしれない。
コロナ禍でどこにも出かけられない中、私は当然のことながら音楽を聴くことで自分を慰めていたが、実感したのは人の声こそが人を癒やすということである。ソウルやブルース、ジャズ、果ては民族音楽や昭和歌謡を聴いていたのはそれが理由で、崩れそうになる心を人の声のぬくもりによって支えられていたと言っても過言ではない。
このアルバムは2019年に録音を終えているので、デイヴがコロナ禍に苦しむ人たちに捧げようと思って制作したわけではないのだが、私には、2年間頑張ってきたことへ対してのご褒美のように感じられ、思わず涙してしまった。まるでデイヴに「よく頑張ったね」と言われているような気がしたのである。
そして思ったのだ。デイヴも私も、生きていて良かったな、と。
1996年に起こったデイヴの2分間の死を、私は当時雑誌で知ったが、文字を読んだ時の、胸のあたりが凍ったような感覚を今でも覚えている。もしかしたら大好きなバンドが終わっていたかもしれないという絶望と、生きていてくれたという安堵がいっぺんにやってきた、ファンとしてはひとたまりもない瞬間であった。もしあのとき、「デイヴ・ガーン死亡」と書かれていたら、どんな気持ちだっただろうか。彼がこんなにすごいシンガーとして年を重ねてくれたことに、感謝しかない。誰に感謝したらいいのだろう。彼自身か、彼を立ち直らせた家族か、支えたメンバーやファンか、それとも雲の上にいる、人ではない誰かか。
一曲一曲感想を述べたらキリがないが、聴くたびに震えてしまうのが3曲目の「Lilac Wine」(ニーナ・シモンやジェフ・バックリィが歌った)で、「I feel unsteady」と歌う部分。「僕は不安定だ」と歌う弱々しい声に、デイヴはやっと自分の弱さを認められたのか、と思って泣かされる。弱い自分を受け入れた者は強い。往々にして、年齢を重ねればそうならざるを得ないが、若い頃のデイヴだったら絶対に人に聞かれたくなかっただろうな、と思う。そして冷静にこの歌を歌える彼はもう幸せなのだという確信が湧いてきて、さらに深く魂を揺さぶられるのだ。
最初に気に入ったのが7曲目の「Shut Me Down」(ローランド・S・ハワード)。これも、ひどい言葉を投げつけられ振られた男が道ばたで立ち尽くし、それでも相手をあきらめきれないという、考えてみればめちゃくちゃみっともない歌詞であるが(身も蓋もない表現すみません)、ものすごくリアルに光景が浮かんでくる。退廃的な低音がいい。
6曲目の「Metal Heart」(キャット・パワー)もいい。これは自分を捨て去った相手に対する恨み節だが、デイヴがデペッシュ・モードの最新アルバム『Spirit』に書き下ろした「Poison Heart」と背景が共通すると思う。以下は私の勘ぐりだが、双方とも、2番目の妻テレサに向けられている気がする。「金属の心をおまえは隠しもしない/金属の心、おまえには何の価値もない/今どんな気持ちだ? 言ってみろ/自分の気持ちすらわからないんだろう?」
キャット・パワー版を後で聴いてみたら曲調がまったく違うので驚いた。
また、聴きこむたびに好きになるのが、10曲目の「Desperate Kingdom Of Love」(PJ ハーヴェイ)。これは恋愛でバカになっている状態の曲である(身も蓋もない表現ほんとすいません、でも間違いないと思う)。おまえといられるなら何でも引き受ける、みたいな覚悟の歌で、かっこいい。PJ ハーヴェイの元曲を聴いてみたらアコースティック、しかもとても静かな曲調である。
この2曲はデイヴとソウルセイヴァーズ版の方が詞の世界を活かしていると思う。元曲を書いた2人も喜んでいるのではないだろうか。
PJ ハーヴェイといえば、だいぶ前ではあるが、息子のジャックから教えてもらい好きになった、と言っていた気がする。そして印象的なジャケット写真(スタジアムに入るところか、その逆か?)を撮影したのは娘のステラ・ローズ・ガーンである。重責を背負ってまばゆい光の中に出ていく、あるいは1人の人間に戻る男をこれ以上よく捉えた写真ってないんじゃないか。しかも彼の内面の孤独まで表している気がする。素晴らしい才能だと思う。
スタンダード・ナンバーが入っているのもファンとしては驚かされたところで、12曲目の「Always On My Mind」(エルヴィス・プレスリー版で、ペットショップボーイズ版ではないとデイヴは言い切っている。そして現在の奥さんであるジェニファーのために歌ったとも)もいいけれど、やっぱり個人的には9曲目の「Smile」(チャールズ・チャップリン)である。
どんなにつらい状況にあっても、微笑むことができれば明日にはきっと希望が見えるという歌詞だが、最初に私の涙を搾ったのはこの曲だった。人間、そこそこ長く生きていれば、どうしたってつらい状況にぶち当たる。そんな時でも喜びを見つけて前を向くことの大切さを、そんな場面をいやというほど経験しただろうデイヴが歌うからこその包容力と説得力がある。
そしてこの2年間、私たちも皆小さな楽しみを見つけてなんとか微笑み、耐えてきたのではないだろうか。そろそろコロナの第6波が見えてきてしまったが、この曲を聴くと負けるものかという気持ちになってくる。
穏やかな浜辺をドライブする光景が見えるようなレイド・バック感がたまらない2曲目の「Some Strange Religion」(マーク・ラネガン)は、これぞシャングリラ・スタジオの魔法がかかった曲かもしれない。デイヴは浜辺のホテルに泊まり、朝散歩のあとでスタジオに向かっていたそうだ。
女性を傷つけてしまった男の後悔を歌う5曲目の「Man Needs A Maid」(ニール・ヤング)、変われない自分を嘆く歌詞だが、なぜか希望が見える12曲目の「Not Dark Yet」(ボブ・ディラン)など、皆名曲だけあって深く聞き飽きない。曲自体の良さもあるだろうが、まるでオリジナル曲のように洗練させたデイヴとソウルセイヴァーズの演奏の力によるところもとても大きいと思う。このチームでもっといろいろな曲が聴きたい。ロッキング・オンのディスクレビューでも、ぜひシリーズ化して欲しいとライターさんが書いていたが、私も全く同感である。現在の彼になら、歌いこなせない曲はそうないはずだ。
今こそが偉大なるシンガー、デイヴ・ガーンの誕生なのである。